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仙台高等裁判所秋田支部 昭和54年(行コ)1号 判決

控訴人(第一審被告)

秋田市長高田景次

右訴訟代理人

堀家嘉郎

伊藤彦造

加藤堯

石津広司

外一四名

被控訴人(第一審原告)

鈴木春雄

外一二六名

右被控訴人ら訴訟代理人

秋山昭一

佐藤義行

榎本武光

沼田敏明

鶴見祐策

金野繁

金野和子

塩沢忠和

川田繁幸

渡辺良夫

横道二三男

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

第一本件賦課処分の存在などについて

請求原因一、二、三項の各事実(当事者、本件賦課処分の存在、不服申立の前置)は、当事者間に争いがない。

第二本件条例の違憲性について

被控訴人らは、本件条例が、租税条例主義を定めた憲法三〇条、八四条、九二条、九四条に違反し無効であると主張するので、これについて判断する。

一租税条例主義

思うにいわゆる租税法律主義とは、行政権が法律に基づかずに租税を賦課徴収することはできないとすることにより、行政権による恣意的な課税から国民を保護するための原則であつて、憲法八四条の「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」との規定は、この原則を明らかにしたものと解されるが、地方自治に関する憲法九二条に照らせば、地方自治の本旨に基づいて行われるべき地方公共団体による地方税の賦課徴収については、住民の代表たる議会の制定した条例に基づかずに租税を賦課徴収することはできないという租税(地方税)条例主義が要請されるというべきであつて、この意味で、憲法八四条にいう「法律」には地方税についての条例を含むものと解すべきであり、地方税法三条が「地方団体は、その地方税の税目、課税客体、課税標準、税率その他賦課徴収について定をするには、当該地方団体の条例によらなければならない。」と定めているのは、右憲法上の要請を確認的に明らかにしたものということができる。そして、右地方税条例主義の下においては、地方税の賦課徴収の直接の根拠となるのは条例であつて、法律ではないことになり、地方税法は地方税の課税の枠を定めたものとして理解される。

そして、租税法律(条例)主義は、行政権の恣意的課税を排するという目的からして、当然に課税要件のすべてと租税の賦課徴収手続は、法律(条例)によつて規定されなければならないという課税要件法定(条例)主義と、その法律(条例)における課税要件の定めはできるだけ一義的に明確でなければならないという課税要件明確主義とを内包するものというべきである。

しかし、課税要件法定(条例)主義といつても、課税要件のすべてが法律(条例)自体において規定されていなければならず、課税要件に関して、法律(条例)が行政庁による命令(規則)に委任することが一切許されないというものではなく、ただ、その命令(規則)への委任立法は、他の場合よりも、特に最小限度にとどめなければならないとの要請が働くものとして理解されるべきであるし、また、課税要件明確主義の下でも、課税要件に関する定めが、できるかぎり一義的に明確であることが要請されるのであるが、租税の公平負担を図るため、特に不当な租税回避行為を許さないため、課税要件の定めについて、不確定概念を用いることは不可避であるから、かかる場合についても、直ちに課税要件明確主義に反すると断ずることはできないし、その他の場合でも、諸般の事情に照らし、不確定概念の使用が租税主義の実現にとつてやむをえないものであり、恣意的課税を許さないという租税法律(条例)主義の基本精神を没却するものではないと認められる場合には、課税要件に関して不確定概念を用いることが許容される余地があるというべきである。ただし、立法技術上の困難などを理由に、安易に不確定、不明確な概念を用いることが許されないことはもとより当然であり、また、許容されるべき不確定概念は、その立法趣旨などに照らした合理的な解釈によつて、その具体的意義を明確にできるものであることを要するというべきで、このような解釈によつても、その具体的意義を明確にできない不確定、不明確な概念を課税要件に関する定めに用いることは、結局、その租税の賦課徴収に課税権者の恣意が介入する余地を否定できないものであるから、租税法律(条例)主義の基本精神を没却するものとして許容できないというべきである。

二本件条例の違憲性

1  本件条例の内容と各年度の課税の仕組

本件条例(但し、昭和五三年条例第一六号による改正前のもの)の内容は別紙(一)〈省略〉に記載のとおりであり、これに基づく各年度の課税の仕組については、当裁判所の認定も原判決理由説示二項(原判決四四枚目表三行目から四六枚目表一行目)と同一であるからこれを引用するが、これによれば、まず「課税総額」が決定され、この課税総額を所得割総額、資産割総額、被保険者均等割総額、世帯別平等割総額に、六五、一〇、一四、一一の割合で四分し、次いで各割ごとに税率が定められるが、その税率は、所得割、資産割については、それぞれ各割総額を各課税標準の総額で除して得た数、被保険者均等割、世帯別平等割については、それぞれ各割総額を、それぞれ当該年度初日における被保険者総数、被保険者の属する世帯総数で除して得た額によるのであり、これを適用した各割税額を合算して課税額とするというのである。したがつて、右税率、課税額の算定の基礎は、「課税総額」にあるということになり、その確定なしに税率の算定をすることは不可能であつて、右「課税総額」は税率という重要な課税要件の基礎として、それ自体が重要な課税要件であるというべきである。

2  本件条例二条の解釈(「課税総額」の意義、確定方法)

(一) 本件条例二条は「保険税の課税総額は、当該年度の初日における療養の給付および療養費の支給に要する費用の総額の見込額から療養の給付についての一部負担金の見込額を控除した額の百分の六十五に相当する額以内とする。」と規定するが、本件条例中には、右「課税総額」の意義及び確定方法を定めた何らの規定も存在せず、ただ、各割ごとの税率算式を定めた条例六条が、「課税総額」の一定割合を被除数として用いているだけである。そして、常識的に考えれば、「課税総額」とは納税義務者に賦課されるべき課税額の総合計額を指すものと解しうるが、このように理解した金額を前提に条例六条により税率を算定し各納税義務者に賦課するときは、条例三条但書による限度を超える額及び条例一二条の低所得者に対する軽減額(なお、昭和五二年六月一三日条例第二三号による改正以前は、右改正前の本件条例一二条によるいわゆる擬制世帯主に対する軽減額も)の各総合計額に対応する金額だけ、現実に賦課される課税額の総合計額は少なくなり、常に必然的に徴税不足が生ずるという合理的な結果を招来する(なお、地方税法七〇三条の四第二項は「標準課税総額」を「当該年度の初日における療養の給付及び療養費の支給に要する費用の総額の見込額から療養の給付についての一部負担金の総額の見込額を控除した額の百分の六十五に相当する額」と規定しているが、同第三項は「標準課税総額」を所得割総額、被保険者均等割総額などの合計額によるとし、同五項は各納税義務者に対する所得割額は、右所得割総額を課税標準たる所得額にあん分して算定するものとし、同九項は、同じく資産割額は資産割総額を固定資産税額(全部又は一部)にあん分して算定するものとしているが、同四項では課税額の限度額を、同法七〇三条の五では低所得者に対する被保険者均等割額又は世帯別平等割額の減額を、それぞれ規定しているから、これにより現実に各納税義務者に賦課される課税額の総合計額は、必然的に右標準課税総額(右百分の六十五に相当する額)より少なくなることになるから、右「標準課税総額」も現実に賦課される課税額の総合計額を意味するものとは解されない。)。

したがつて、右のような不合理な結果にならないよう、しかも条例六条の「課税総額」と同義に二条の「課税総額」を理解しようとすれば、これに基づき条例六条により税率を算定して条例にしたがい現実に各納税義務者に賦課できる課税額の総合計額が、当初賦課を予定した額に不足を生じないような数値をもつて「課税総額」と解するのほかはなく、したがつて、右「課税総額」は、現実に納税義務者に賦課される課税額の総合計額に、現実には納税義務者に賦課されることのない前記超過額及び軽減額の総合計額に相当する金額を加えたものからなることになり、このような「課税総額」を積極的に定義づけることは困難というべきである。

(二) そして、条例二条は、このように税率算定の基礎となる「課税総額」について、「保険税の課税総額は、当該年度の初日における療養の給付および療養費の支給に要する費用の総額の見込額から療養の給付についての一部負担金の総額の見込額を控除した額の百分の六十五に相当する額以内とする。」と規定することにより、右二つの見込額の差の百分の六十五によつて、課税総額の上限を画しているが、右見込額がいかなる方法で算定されるべきかについては何らの規定もなく、また、右範囲内でだれがいかなる基準、手続により課税総額を確定するかについても、何らの規定もない。

しかし、本件条例は、課税権者たる控訴人が納税義務者から保険税を賦課徴収するための根拠となるべく制定されたものであるから、その規定内容の解釈は、その制定目的に照らしてできるだけ合理的に行うべきであり、この見地からすれば、課税総額の確定方法を全く規定していない条例二条は欠陥規定であつて無効であると解するのではなく、同条は、右上限を画する見込額の算定、及び右上限内での課税総額の確定を課税権者たる控訴人に委任したものと解すべきである。

3  そこで、まず見込額の算定、したがつて、確定されるべき課税総額の上限設定を控訴人に委ねることの意義、及びこれと租税条例主義との関係について検討する。

条例二条は見込額を把握すべき時点として「当該年度の初日」と規定しているから、控訴人は、右時点までに入手しうる資料により、可能なかぎり合理的な計算方法によつて、当該年度に現実に支出が予測される療養の給付および療養費の支給に要する費用、療養の給付についての一部負担金の総額にそれぞれ最も近似しうる各見込額を算定することを義務づけられているのであり、右各見込額の算定にあたり、控訴人が政策的考慮を加えることは許されないことはもちろんであつて、反面控訴人がその算定について恣意を介入させる余地も殆んどないというべきであり、この意味で右各見込額の意義も不確定なものとはいえないから、控訴人が算定する各見込額をもつて課税総額の上限を画することは、租税条例主義(とくに課税要件明確主義)の点からも特に問題とすべきものではないというべきである(見込額の算定にあたつて、控訴人がことさら政策的考慮を加えて、その時点における資料から合理的計算方法によつて算定される見込額とは異なる見込額を採用したとしても、それは、控訴人が本件条例違反の見込額の算定をしたという問題であつて、そのことが、直ちに本件条例二条が見込額算定を控訴人に委ねたことが課税要件条例主義ないし同明確主義に違反することを基礎づけるものとはいえない。)。

4  次に、このように算定された見込額から導かれる上限内での課税総額の確定を控訴人に委ねることの意義及びこれと租税条例主義との関係について検討する。

(一) 前述のように、右上限内での課税総額の確定は、本件条例上、課税権者たる控訴人に委任されていると解すべきであるが、本件条例にはこれを明示する委任規定はなく、委任に基づき課税権者が課税総額を確定するにあたつてのよるべき基準及びその確定手続を定めた規定も一切存在せず、しかも、委任に基づき確定した課税総額を何らかの形で公表すべきことを定めた規定も存しないから、本件条例は、課税権者に課税総額を、その自由な裁量により内部的に決定することを委任した趣旨と解する他はない。

しかし、本件条例二条における課税総額は、課税要件たる税率算定の基礎となる、それ自体重要な課税要件であるから、その確定を課税権者が自由な裁量によつて内部的に決定すればよいとする委任は、租税条例主義(とくに課税要件条例主義)の見地からは多大な疑問があるといわなければならない。そして、もとより条例二条をその目的に照らし合理的に解釈するときは、同条は前記上限内で課税権者が国保制度の目的、国保会計の収支状況などの諸般の事情に照らして、合理的な数額を確定すべき旨を定めたものと解すべきことは当然であるが、このように解しても、前述したとおり、本件条例自体には右確定にあたつて課税権者がどのような事情をどのように考慮すべきかについてのよるべき基準は何ら明示されていないから、これを一般的に考えれば、右確定にあたつて課税権者には広汎な裁量の余地があり課税権者は自己が制度目的などに照らして合理的と思うところの種々の政策的判断を重ねたうえで課税総額を決定できるとみることができるのであるから、前記程税条例主義の見地からの疑問は何ら減殺されるものではない。

(二) ただ、本件条例における課税総額の確定過程で、どのような点で裁量が働くものであるか、また、その裁量の幅がどの程度なものであるかについて、本件各年度における具体的な課税総額確定過程を素材として検討することにより、その裁量の幅が一般的に考えられるほどには大きいものでないと評価できる場合には、本件条例二条の課税総額規定は課税要件条例主義に反しないとみる余地も生ずるので、本件各年度の課税総額確定の過程を、このような見地から検討し、右課税総額規定が課税要件条例主義に反しないかどうかを、さらに吟味する。

(1) 〈証拠〉によれば、次の各事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(イ) 控訴人は本件各年度の課税総額を、賦課期日(四月一日)以降に、当該年度の国保会計予算の中の保険税現年課税分(以下現年課税分という。)を基礎として、この額を過去の収納実績に照らして決定した見込収納率で除して調定額を定め、この金額に、課税限度額を超える額、低所得者に対する軽減額、擬制世帯主に対する軽減額(ただし、昭和五〇年度のみ)の各総計額を加算したものをもつて課税総額として取扱い、その確定作業を六月中旬ころまでに行つて、税率を決めて、七月一日付で各納税義務者に納税通知書を送付している。

(ロ) ただし、本件条例によると、右超過額、軽減額の各総計額がいくらになるかは、各割の税率、税額を必要とし、他方、右税率、税額の決定には課税総額が必要となるという関係があるため、控訴人は、資料にもとづき各割の課税標準総額、総数(課税所得の総額、資産税額の総額、被保険者総数、被世帯総数)を把握したうえ、過去の実績に照らし、仮定的に数個の税率をあてはめて、仮定的な課税総額を数個算出し、これにより算定される超過額、軽減額の総計額を差引いた数額が前記の調定額に最も近似したものとなる仮定的な課税総額をもつて、本件条例二条の課税総額と決定している。

(ハ) 現実の収納実績は、昭和四七年度91.37パーセント、同四八年度91.32パーセント、同四九年度92.06パーセント、同五〇年度91.10パーセント、同五一年度91.10パーセントであるのに対し、控訴人は、本件各年度の課税総額確定にあたり見込収納率として昭和五〇年度については収納率の大幅向上をはかるという前提で九五パーセントを、昭和五一年度については過去の実績に忠実に九二パーセントを、昭和五二年度については過去数年の実績の最低値をもつて九一パーセントを、それぞれ採用した。

(ニ) 控訴人は、昭和五〇年度については、予算編成時に想定した被保険者数よりも賦課期日時における被保険者数が八三〇名減少していることが四月中旬ころ判明したため、前記の調定額を右想定被保険者数で除した額の八〇〇倍を右調定額から減額して、これを調定額として、以後の課税総額確定作業を行つた。

(ホ) また、控訴人は、昭和五二年度については、例年、課税総額確定時に課税所得把握もれがあつたことなどが原因で、その当時に前提とした調定額よりも決算時の調定額が約五パーセント程度増額になるという傾向があることを考慮して、前記の調定額の三パーセントを減額した金額をもつて、課税総額確定の前提たる調定額とした。

(ヘ) 控訴人は、昭和五一年度において、所得割の課税標準所得総額に擬制世帯主の所得額を含めなければ、課税総額に擬制世帯主に対する軽減額を含めなくても、結果として得られる税率に殆んど差異は出ないと考えて、条例上は何ら規定の改正はないのに前年度までとは異なり、前記調定額に課税限度を超える額及び低所得者に対する軽減額の各総額だけを加算したものをもつて課税総額とした。

(ト) 控訴人は、昭和五〇年度において、前年度の赤字約三〇〇〇万円が見込まれるとしてその処理のため当初予算において国庫から支出される療養給付費負担金を現実に支出される金額より三〇〇〇万円減額して計上し、これに対応して保険税現年課税分を三〇〇〇万円多く計上したが、その後の賦課期日後の課税総額・税率の決定作業中に、国から前年度赤字分充用のためさらに三〇二〇万円の療養給付費負担金が支出されることになつたので、六月に補正予算をくんでその処理をしたが、これによつて、前記不計上された三〇〇〇万円は当初の目的を失いその不計上の理由はなくなつたのであるから、これを計上して右同額分の現年課税分を減額することが考えられるのに、同年度中に医療費の値上げも予想されるとの理由から、右のような補正予算措置をしなかつた。

なお、控訴人は、昭和五〇年度当初予算においては、前年度から県からの補助金が支出されていたが、その額が必ずしも明確でないとの理由で、全くこれを歳入として計上しなかつた。

(チ) 控訴人は、昭和五一年度においては、当初予算編成時点ですでに前年度の黒字が一億円以上になることが予測できたのに、当初予算にこれを繰越金として全く計上せず、しかも、その後の課税総額・税率の決定作業中にはその黒字額が一億三四〇〇万円にのぼることが明確になつたのに、これを繰越金として計上してその分だけ現年課税分を減額する補正予算措置を全くしなかつた(ただし、一二月の補正予算で歳入に繰越金一億四七一七万円を計上し、他方、歳出にこれを上まわる療養給付費を計上した。)。

(リ) 控訴人は、昭和五二年度においては、前年度に大幅な黒字が生ずるとの予測に基づき、当初予算で五〇〇〇万円の繰越金を計上したが、課税総額・税率決定作業中にはその黒字が二億三〇〇〇万円にのぼることが明確になつたので、六月に補正予算をくみ、さらに、一億五三〇〇万円の繰越金を追加計上し、右同額だけ現年課税分を減額した。

なお、昭和五二年度の決算では、右のような措置をしたにもかかわらず、三億七四〇四万円の黒字が生じた。

(2) 以上の認定事実に基づき課税総額確定過程の問題点を順次検討する。

(イ) 現年課税分を基礎とすることについて

市議会で議決された当初予算において保険税の現年課税分として一定の金額が計上されているのであるから、その金額に何らの拘束力はないとはいえ、控訴人が右金額を基礎に課税総額確定作業をすすめることは、一応合理的なことといいうる。しかし、当初予算における現年課税分の決定について控訴人が事実上行使しうる裁量権はしばらく措くとしても、右当初予算における現年課税分は、右にみたとおり、その後の補正予算により増減しうるものであり、具体的にこれをみれば、昭和五〇年度においては、赤字処理のための必要がなくなつたのに現年課税分を減額せず、昭和五一年度においては、黒字がはつきりしてもこれを繰越金として計上して現年課税分を減額することをせず、これに対し、昭和五二年度においては、黒字処理のため繰越金を追加計上する補正予算をくんだが、その計上額はほぼ確定していた黒字額をかなり下廻るものであつたという前記認定事実から明らかなように、当初予算議決後に生じ、あるいは判明したいかなる事情をとらえて補正予算をくむか、またその補正予算内容をどうするかは、控訴人が、その政策的判断に基づく裁量により決しており、また決しうるところであるというべきである。

したがつて、控訴人が予算の現年課税分を基礎として課税総額を確定するとはいつても、その現年課税分の金額は、当初予算の議決によつて直ちに確定するというものではなく、控訴人は、それ以降においても、前年度の赤字・黒字処理、他の歳入金の計上、歳出の増額などについて補正予算をくむか否かの権限の運用により、右現年課税分の金額を増減しうるものであつて、このように控訴人は、右補正予算の提出権限の運用を通じて、課税総額確定作業の基礎である現年課税分の決定について広汎な裁量の余地を有するというべきである(このことは、右権限の運用が適正であつて、課税総額確定作業時の現計予算の現年課税分の金額が合理的数額であるか否かとは自ら別個の問題である。)。

(ロ) 見込収納率を考慮して調定額を定めることについて

賦課税額が現実にすべて収納しうるものではないから、過去の収納実績に照らして、当該年度の見込収納率を決め、これで現年課税分を除して調定額とすること自体は不当とはいえず、このことを徴税不能分を他の納税義務者に負担転嫁するもので許されないとの非難はあたらないが、前記認定の本件各年度における見込収納率の決定事情からも明らかなとおり、過去の収納実績を考慮するといつても、それをどのように考慮するかは、その飛躍的向上を目ざして高く見込むか、確実なところで過去の最低値を見込むかというような政策的判断が介在するものであつて、過去の実績からほぼ自働的に決定されるとか、過去の実績があるから右見込収納率決定にあたつての裁量の幅はせまいとかいうことはできない。

なお、〈証拠〉中には、控訴人は当初予算編成時にすでに当該年度の見込収納率を決定しており、これを右予算案の審議される市議会の委員会で口頭で報告している旨の部分があるが、これを裏付ける何らの書証も提出されておらず、その証言内容自体からもその信用性に疑問の余地があるばかりか、仮にそれが措信できるとしても、何のためにその時期に決定し、どんな目的で委員会へ報告するのかは全く不明確であつて、調定額算出にあたつての見込収納率の決定について市議会が何らかの統制機能を有するものとは到底評価できない。

(ハ) 特殊事情による調定額の減額措置について

前記認定のとおり、控訴人は、昭和五〇年度と昭和五二年度とにおいて、それぞれの事情により、現年課税分を見込収納率で除してえられた金額をさらに減額し、これを調定額として課税総額の確定作業をすすめているが、これらの減額措置はそれ自体としては国保税制度の目的からみて合理的で適切なものであつたとしても、反面からみれば、他の年度においては、被保険者数の増減や例年生じていた決算上の調定額の増加傾向を考慮して調定額を修正することをしなかつたこととなり、その合理性が問われる余地があり、しかも、このことは控訴人が諸般の事情をみて合理的であると判断すれば、現年課税分を見込収納率で除してえた金額をさらに修正しうるということをも示すものであつて、控訴人は、この点でも調定額決定について政策的判断に基づく裁量の余地があるというべきである。

(ニ) 調定額に加算すべき金額の決定過程について

すでに認定したとおりの課税総額の確定作業においては、そこで採用された各課税標準の数値が正確に把握されているか否かも、確定される課税総額に影響を与えるところ、〈証拠〉によれば、各課税標準の数値は、その把握時点、把握資料によつて相当に差異がありうることが認められ、このことから、各数値の正確性の程度は、控訴人の資料収集などの努力いかんに負う部分も少なくないともみれるのであつて、調定額決定後の課税総額の確定作業も、単純な計算過程であつて、だれがこれを担当しても同じ金額になるといつた性格のものではないことは明らかである。

(ホ) 以上、検討したところによれば、現年課税分を基礎として課税総額を確定するとはいつても、その過程において控訴人によるさまざまな政策的判断が積み重ねられるのであり、その各政策的判断がそれ自体として国保税制度の目的に照らして合理的なものであるとしても、その各合理的とみうる判断には、それぞれ一定の幅がありうるのであるから、それが積み重なつて確定される課税総額の金額の幅も自ら相当に大きなものとなるのであつて、その確定において働かせうる控訴人の裁量の余地は現実にも広汎なものとなつていることは明らかである。

(三) なお、控訴人は、保険税が目的税であつて条例二条の課税総額はこれによつて算出される税率を適用して保険税を賦課して現実に徴収可能な税収が当該年度の国保会計収支を過不足なしに均衡させうる数額でなければならないのであるから、右課税総額の確定にあたつて現実に控訴人に許される裁量の幅は極めて小さく、なきに等しいと主張するが、右(二)項で判断したとおり、課税総額確定にあたり、現実に控訴人が行使し、又は行使しうる裁量の幅は相当に広いのであつて、控訴人が主張する国保会計の収支均衡という点は、控訴人が右(二)項において認定したような政策的判断を積み重ねるに際しての重要な指針・基準となすべきであり、また指針・基準となさざるをえないものといいうるにすぎない。そして、〈証拠〉によれば、国保会計予算の編成は療養給付費を中核とする歳出に対し、法令上固定的な国庫負担金などの歳入を計上し、その歳入不足額を保険税の現年課税分として計上する取扱いになつていること、歳入には一般会計繰入金などのように控訴人の政策的判断によつて増減しうる項目もあることがそれぞれ認められ、また、前記認定のとおり控訴人はその政策的判断によつて、前年度の赤字処理に関して歳入項目たる国庫負担金の一部を不計上にし、前年度の黒字処理に関して歳入項目たる繰越金を全く計上せず、あるいは少なく計上するなどの措置もとりうるのであつてみれば、予算編成にあたり国保会計の収支均衡を判断基準として現年課税分の金額を決定するのだからその決定には控訴人の裁量の余地は殆んどないとはいえないことが明らかである。また、〈証拠〉によれば、本件各年度において控訴人は国保会計の収支均衡、すなわち、赤字、黒字が生じないように考えて現年課税分を決めて予算編成をしたはずであるのに、右各年度の国保会計決算は、昭和五〇年度は一億四七一八万円、昭和五一年度は二億三六七七万円、昭和五二年度は三億七四〇四万円と、それぞれ当初予算合計額の約五パーセントないし八パーセント、当初予算の現年課税分の約一四パーセントないし二五パーセントにものぼる黒字を生じたことが認められ、このことは本件各年度の予算編成時の現年課税分の計上、あるいはその後の課税総額確定にあたつての裁量権行使について、控訴人が国保会計がどうすれば収支均衡するかという点での判断を誤つたということを示すにとどまらず、そもそも国保会計の収支均衡ということを基準として政策的判断をするにしても、客観的にはすでに存在し、あるいは将来発生すると見込まれる諸要因のうち、どの点をどのように考慮するかによつて、その判断には相当に差異が生じうるものであつて、そこで行使される裁量の幅は大きいものであることをも示すものというべきである。

さらに、保険税が目的税であるということは、控訴人において国保会計上歳入増加の必要性もないのに際限なく保険税を賦課する必要はなく、課税総額、税率の確定をその裁量に委ねても際限のない課税総額の拡大、税率の上昇のおそれは少ないといいうるにすぎず、目的税であることから右確定に際して控訴人に裁量の余地がなきに等しいとか、裁量に委ねることが課税要件条例主義に違反しないとかいつた結論を導き出すことはできない。

(四) ただ、前記認定のような政策的判断の積み重ねにより確定される課税総額が、結果としてほぼ必然的に「百分の六十五に相当する額」という上限をこえ、あるいはこれにきわめて近似した金額になるものであるとすれば、右上限額の機能により、現実的には控訴人が裁量の結果として確定しうる課税総額の金額の幅は狭く、右裁量の余地自体も狭いとも評価する余地があるので、本件各年度の実態に照らしてこの点を検討するに、〈証拠〉によれば、控訴人が確定した本件各年度の課税総額は、昭和五〇年度が一五億一九二九万円、昭和五一年度が一八億二一〇〇万円、昭和五二年度が一九億四三八七万八〇〇〇円であつて、「当該年度の初日における療養の給付および療養費の支給に要する総額の見込額から、療養の給付についての一部負担金の総額の見込額を控除した額」の、昭和五〇年度は約百分の五五、昭和五一年度は約百分の五九、昭和五二年度は約百分の五三に、それぞれ相当する額であつて、前記上限額をいずれもかなり下廻つていることが認められ、しかも、〈証拠〉によれば、地方税法七〇三条の四が標準課税総額を「百分の六十五に相当する金額」と定めた際には、モデル国保会計として、療養の給付及び療養費の支給に要する費用のそれぞれ一〇パーセント程度の保健施設費(主として保健婦設置費)及び任意給付費(助産費や葬祭費など)が計上されるものと想定したことが認められるのに、〈証拠〉によれば、秋田市の国保会計予算においては、とくに保健施設費が極めて低額(本件各年度については右モデルの一〇分の一以下―療養の給付及び療養費の支給に要する費用の一パーセント未満)しか計上されておらず、任意給付費も高額療養費を含めても右モデルよりもかなり低額にとどまつていることが認められ、これが確定した課税総額が前記上限額をかなり下まわる大きな原因になつているとみることができ、したがつて、余程過大に課税総額を確定しないかぎりは、右上限額が課税総額確定について現実的に機能する余地は乏しいものというべきで、この上限額の機能によつて、課税総額確定についての控訴人の裁量の幅が狭いとの判断は成立しない。

(五) 以上検討したとおり、本件条例のもとでの控訴人による課税総額の確定について、本件条例にはその際によるべき基準は何ら規定されてはいないから、控訴人は自由な裁量によつて種々の政策的判断の積み重ねによつてこれを行いうるものと解するのほかはなく、保険税が目的税であることや、国保会計の収支均衡を無視して課税総額を確定できないということも、右裁量の幅を狭いものとするとはいえず、また条例二条の上限額の定め自体が右裁量の余地を大きく減殺する機能を果すともいえない。したがつて、重要な課税要件たる課税総額の確定をこのように広汎な裁量の余地のあるままに控訴人に委ねた条例二条の課税総額規定はやはり課税要件条例主義に反するといわざるをえない。

(六) しかも、本件条例上は右のように確定した課税総額について、控訴人がこれを規則として制定すること、あるいはこれを公示することを義務づけた規定は存在しないから、前述したとおり控訴人はこれを単に内部的に決定し、これに基づき税率を決定すればよいことになる。ところが、納税義務者は税率決定の基礎となつた課税総額がどのようにして確定されたかはもとより、確定された課税総額の金額すらも明らかにされないのであるから、たとえ税率だけが明示されても課税総額及びそれに基づく税率の決定が本件条例に基づいて正しくなされたか否かについて全く検討することが不可能であることは明らかである。そして、本件条例においても控訴人が課税総額の確定にあたつて行使する裁量は合理的なものでなければならず、この点については保険税賦課処分に対し納税義務者の提起する行政不服審査、行政訴訟において、行政審査、司法審査をうけ、これにより課税権者による恣意的課税抑止の機能が期待されるわけであるが、右のように本件条例上は納税義務者にとつて課税総額の確定過程、その確定金額、さらにそれに基づく税率確定過程が本件条例に適合するか否かを全く検討する余地がないということは、右の不服申立をすべきか否かの判断をきわめて困難なものにするというべきであつて、右不服申立制度によつて恣意的課税を抑止するという機能も現実には著しく減殺されてしまうというべきである。したがつて、この点からも、本件条例二条の課税総額規定が課税要件条例主義に違反することを根拠づけることができる。

(七) さらに、条例二条の「課税総額」は前記のとおり積極的に定義づけることは困難な概念であり、その金額については、同条において上限が規定されているだけで、その範囲内での確定は控訴人に委ねられているというのであるから、同条の規定が一義的に明確でないことも明らかであり、同条の解釈によつても、それを明確にできるものでもないから、同条の課税総額規定は課税要件明確主義にも違反するというべきである。

控訴人は、保険税については条例において定率・定額で税率を規定することが立法技術上困難であり、合理的でもないから、本件条例のような税率決定の方式は(したがつて、その基礎となる条例二条の課税総額規定も)、課税要件明確主義を緩和することにより、これに適合するものと解すべきであると主張するが、〈証拠〉によれば、全国で保険税を賦課している地方公共団体約三〇〇〇のうち、昭和五五年一二月末に国保税条例で定率・定額方式をとらないのはわずか二五にすぎないことが認められるから、右立法技術上の困難という主張が失当であることは明らかというべきであり、また、本件条例のような課税方式の方が合理的であるというのは、要するに、定率・定額方式では毎年議会において税率改訂のための条例改正の審議、議決を要するために国保会計の歳入確保に支障を生ずるおそれがあるというものであつて、反面からいえば、税率改訂について議会の審議・議決を経ることが不合理であるということであつて、このような主張は恣意的な課税を排するという租税法律(条例)主義の根本精神とは全く相容れない考え方であつて、到底採用できない。

(八) なお、控訴人は刑事法における罪刑法定主義との対比において、刑罰法規においても刑罰について一定範囲の幅のある定め方をするのが大部分であるのにこれを罪刑法定主義に反すると論ずるものはいないのであり、これと同様に租税条例主義の下でも本件条例二条のような課税総額の定め方は是認されると主張する。しかし、罪刑法定主義はもともと絶対的法定刑を要請するものではなく犯罪構成要件が法律によつて明確に定められるべきことを要請するものであり、これに対し、租税条例主義は前述のとおり課税要件の法定を要請するものであるから、一定の幅で刑罰を規定することが許容されることとの対比において、課税要件たる課税総額、税率について一定の幅で規定することが許容されると論ずることはできず、犯罪構成要件が法定されしかも明確でなければならないこととの対比において、課税要件の法定、明確性が考えられるべきである。これを実質的に考えても、一定の幅のある法定刑の中から裁判官が宣告刑を決定することと、一定の限度内の金額、割合の中から課税権者が課税総額を決定することとの間には質的にも大きな差異があることは明白であり、一定の枠さえ定めれば、その枠内で課税権者がその裁量により税率・課税額を決定できるということが、租税法律(条例)主義の下において是認されるとすれば、課税権者の恣意的課税を排するという同主義の目的は全く失われてしまうというべきである。したがつて、罪刑法定主義との対比において、本件条例二条の課税総額規定が租税条例主義に反しないと論ずる控訴人の主張は採用できない。

(九) したがつて、本件条例二条の課税総額規定は、上限内での課税総額の確定を課税権者に委ねた点において、課税要件主義にも課税要件明確主義にも違反するというべきであつて、憲法九二条、八四条に違反し、無効といわざるをえない。

5  そして、右のような課税総額を基礎として税率を決定する点において、本件条例六条もまた、その余について判断するまでもなく、憲法九二条、八四条に違反し、無効であるというべきである。

第三結論

したがつて、このように違憲無効な本件条例二条、六条に基づいてなされた本件各賦課処分は違法であつて取消しを免れないというべきであるから、被控訴人らの本訴請求を認容した原判決は正当であつて本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(福田健次 小林克巳 武田多喜子)

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